東京オリンピック女子78kg級決勝で、濵田尚里がフランスのマドレーヌ・マロンガを破って金メダルを獲得した瞬間は、多くの柔道ファンにとって忘れがたい場面だろう。だが池田ひとみにとって、その瞬間は単なる決勝の勝利ではなく、9年間の記憶が一気によみがえった時間だった。
全日本柔道連盟女子柔道振興委員会の最新「JJ Voice」で、池田は自らの歩みと、濵田尚里との関わりを振り返っている。かつて同じ78kg級で戦った選手が、やがて練習パートナーとなり、コーチとしてオリンピックの金メダルを見届けるまでの道のりが丁寧に語られている。
池田は1985年沖縄県生まれ。2011年の全日本選抜柔道体重別選手権大会女子78kg級で優勝し、同年のパリ世界選手権では7位に入った。その後は指導者に転じ、2012年から2024年まで自衛隊体育学校で指導にあたり、全日本ジュニアコーチを2012年から2021年まで、全日本シニアコーチを2021年から2024年まで務めた。
濵田が自衛隊体育学校に入った時期は、ちょうど池田が選手から指導者へ移っていく時期と重なっていた。しかも2人は同じ78kg級。池田は自然と濵田の打ち込み相手、実戦練習の相手となっていった。池田によれば、濵田の練習はいつも本気で、どの技が来るのか読みづらく、日々の稽古でさえ本番のような緊張感があったという。
2021年7月29日、池田は濵田の練習パートナーとして東京オリンピックの会場に入った。新型コロナウイルスの影響で無観客開催となった日本武道館は静かだった。その中で濵田が勝ち上がり、最後にマロンガを寝技で抑え込み、金メダルを決めた瞬間、池田は9年間の出来事が走馬灯のようによみがえり、思わず涙があふれたと語っている。
観客から見えるのは決勝の数分間かもしれないが、その裏には何年にもわたる積み重ねがある。池田の言葉は、その時間の重みを伝えてくれる。
17年間務めた自衛隊体育学校を退職した池田は、地元沖縄に戻り、現在は高校教員として沖縄尚学高校女子柔道部の監督を務めている。15歳で沖縄を離れて以来、いつか地元で教師になることが目標の一つだったという。今は、生徒たちに柔道を楽しんでもらい、できるだけ長く続けてもらい、自分が先輩や指導者から受け取ってきたものを次の世代へ渡していってほしいと願っている。
池田自身の言葉は、金メダル一つよりも遠くへ届く。出会った指導者たちから受けた恩をつなぎ、100年後、今よりも女性柔道家が増えることを願うと語っている。



