国際柔道連盟(IJF)のJudoPod最新回に、元米国代表の柔道選手で2004年五輪の補欠でもあったジャスティン・フローレスが出演した。その競技人生は柔道、レスリング、そして他の武術を行き来してきた。
フローレスの競技への入り口は独特だ。最初は競技用の縄跳びから始まり、その後レスリングと柔道が彼のキャリアを形づくった。ひとつの競技を選ぶのではなく、それらを組み合わせることを学び、相手の強みを自分の技の機会に変えていった。こうした姿勢が「人と違うこと」を競技上の強みにしたと彼は語る。
けがが再構築を迫った
けがによってキャリアが変わっていくなかで、この適応力は不可欠なものになった。12回の膝の手術と7回のACL(前十字靭帯)断裂を経て、フローレスは体力への依存から離れ、効率、タイミング、そして組み手へと軸足を移した。
五輪への夢が途絶えたことを含む大きな失望は、その後の歩みを形づくる教訓となった。その後はロンダ・ラウジー、ケイラ・ハリソン、モリー・マッキャンらと仕事をし、選手ごとに異なるアプローチが必要だと実感したという。優れた指導とは単一のシステムを押し付けることではなく、個人を理解することだという考えを強めている。
次世代へ伝える
フローレスは後に、格闘家が直面する経済的な現実への懸念を強め、プロリーグから離れた。そして、異なる武術がどのように発展し、次世代を引きつけていくのかを深く考えるようになった。
現在は、その経験を次世代に伝えることに注力している。自身の息子が試合で失望を味わったときには、挫折を受け入れること、そして負けることが成長の一部であることを学ぶ機会に変えた。今でも試合の場に戻る夢を見ているという。

